「すぐに差別者と決めつけて糾弾するな」について

大抵の人は「差別はダメなことだ」と考えている。

だから「それは差別だ」と指摘されると、大変なショックを受け、混乱する。「差別はだめだ」としっかり考えている人ほどそうなりがちだ。私自身も指摘されて嫌になった経験はある。だから、私は私なりに慎重に判断しているつもりだ。

だれかがフォビックな発言をしたとき、すぐに糾弾が必要な場合もあれば、丁寧な対話が優先される場合もある。そして、それは「その発言者の社会的地位」や「自分と相手との関係性」によって大きく変動する。戦略的観点から判断することもある。実際、丁寧に話をすることで通じた経験はいくつもある(糾弾よりもエネルギーが必要だし、失敗したときの消耗は凄まじいが)。

私の判断基準を「甘い」と考える人も、逆に「厳しすぎる」と考える人もいるだろう。それは仕方がない。全てはグラデーションであり、大事なことは「差別を許さない」ことだ。

組織や団体の場合は個人より慎重さが求められるだろう。ただ、それでも一般論としてまず「差別を許さない」という姿勢を前面に出してほしい。そのうえで個別の課題には慎重に対応すればいい。

 

「すぐに差別者と決めつけて糾弾するのは良くない」という非難は、「差別している側」が弁明に使うことが多い。本当にその人は差別していないのか、糾弾は過剰なのか。個別事例によってずいぶん違うはずだが、そこに言及せず「安易な糾弾は良くない」みたいな方向に持って行くのは「過度の一般化」ではないだろうか。

 

「素朴な疑問」というのは、もちろんある。それは当然、持っていい。

ただ、その「素朴な疑問」を公開の場であるSNSツイッター、ブログなどに書くこと自体がマイノリティを追い詰める場合もある。

 

だから、疑問を持ったら、まず「調べてほしい」と思う。

(といっても、間違った情報、不安を強化してしまう情報も多い。情報過多時代の問題である)

 

 トランスジェンダーに関わる「疑問」については、この記事がかなり網羅的に扱っているので、ぜひ読んでほしい。

https://goatskin.hatenablog.com/entry/2020/06/19/180443

 

 トランスジェンダー、特にトランスジェンダー女性に対する差別言説は、日本においては18年7月にお茶の水女子大が「トランスジェンダー学生の受け入れ」を発表してからネット上に蔓延するようになった。

そもそも女子大には男性の教職員もいるし、現役学生も含めて納得しているわけだし、プライベートスペースに関しては「個別に対応する」と表明してるわけだからそれで終わりのはずなのだが、他の女子大でも受け入れが発表されるたびに「トイレはどうするのか」「着替えは、シャワーは」という「素朴な疑問」がネットに溢れる。

それは「不安を煽っている(つまり差別的な)人たちがいるから」である、ということに気付いてほしい。

この2年あまり、ずっと同じ話が繰り返されている。答える方は疲弊する。それ自体が差別だし、「シーライオニング」と呼ばれるハラスメント行為だ。

 まず、当事者やアライがどんな主張をしているか調べる。そして、どういう発言が「差別」と批判されているかを知る。
「質問」するのは、それ以降のことだと思う。

 

「差別者であると糾弾されること」よりも、「自分が差別をしてしまうこと」を警戒しよう。