石川優実さんのブログ記事「差別発言の謝罪と、皆さんは差別をしていませんか?という問いかけ。」を読んで

下記は別サイトに保存されたアーカイブ(いわゆる「魚拓」)へのリンクです。

archive.today

この中で私が共感するのは、「風俗で働いていた」という経験のカムアウトをさせる圧力を石川さんが受けたという点です。
「非当事者が口を出すな」と言われたとのこと。これには怒りを感じます。
「当事者かどうか」を「議論に参加してよいかどうか」のジャッジに使うのは最悪です。

ただ、その圧力をかけたことに対する抗議や批判は、圧力をかけた個人なり団体(具体的に特定できるのであれば)に対して行うべきでしょう。
石川さんがあの記事を書く前からAV新法をめぐって様々な議論があり、「性売買合法化反対」の立場から新法に反対する人たちに対して、反フェミニズム的な罵倒が浴びせられる場面も見かけました。
ツイッターをはじめネットの議論では、AV新法に対する立場が同じでも他の部分で根本的に相容れないような人たちの発言が入り乱れていて、誰かが「責任を持ってまとめる」ようなことは不可能でした。
そもそもAV新法に対する賛否は、セックスワーク非犯罪化へのスタンスとは全く別のところで分かれました。「非犯罪化」に反対しているPAPSの中でもAV新法に対する賛否が分かれたことはご存じかと思います。

石川さんは今回のブログ記事(以下「当該記事」とします)の中でトランスマーチについて「反売買春フェミを踏みしだく」という表現を問題視していますが、これはマーチの主催者(TGJP)ではなく、賛同団体のひとつである「フリーター全般労働組合」によってツイートされたものです。
この発言そのものは不安や恐怖を招く可能性もあり批判されうるものだと私は考えますが、その批判は発言元である「フリーター全般労働組合」に向けられるべきであり、ツイートしたわけではない主催者に対して、ましてやマーチに賛同しただけの別団体に対して向けることは不当だと考えます。
また、当該記事において紹介されている葭本美熾さんによる書籍「トランスジェンダー問題」への批判はマーチよりも1週間ほど前に行われたものであり、この批判を前述のツイートと関連させて論じるのは不当なのではないかと考えます。

 

ようやく、書籍「トランスジェンダー問題」の話に入ります。

石川さんは葭本さんによる批評の例として「セックスワークの非犯罪化はトランスジェンダーの中心的な教義だ」という記述に驚いた、というものを挙げています。
これはp244(以下、ページ番号はKindle版に基づく)にある

あらゆる形態のセックスワークの完全な非犯罪化が、トランスの権利運動の中心的な教義でなければならない

という記述を指しているものと思われます。
しかしその直前の段落において「〜その搾取によってシスジェンダーの男性が利益を得ているというのは、まさに真実である」と、売買春反対派の主張を肯定したあとに続けて「しかし、反対側の議論、つまりセックスワーカー肯定的なトランスのポリティクスが、顧客や非倫理的な産業活動を道徳的に無罪放免にしようとしているわけではない」と書かれています。さらに続けて「顧客が非難されようと犯罪化されようと(略)依然として性を売る必要があるのである。〜ワーカーへのハームリダクションへと焦点は移っていく」とも書かれており、そこから段落を改めて前述の主張に繋がります。
また、本書の記述は「〜教義でなければならない」という著者の主張を示したものであり、「〜教義である」などと事実を断定的に示したわけではありません。
むしろ「現実はそうではない」からこそ、著者は「そうであるべき」だと主張したのでしょう。もちろん著者のスタンスに反対するトランスもいるでしょうし、実際にいますし、この主張を批判するのも自由です。
しかし、批判が妥当な者であるかどうか検討するにあたっては対象とされた前後の文脈を含めて対象とする主張全体を把握する必要があります。
引用箇所を明示しないというのは、この「把握」を困難に(場合によっては不可能に)してしまう行為です。その状態のまま「全部を読め」と言いなが非難を続けるのは暴力的ですらあります。
だから葭本さんや石川さんの「引用しない」「引用箇所を示さない」というスタンスが批判されているのですが、当該記事を読むかぎり石川さんにはその問題性が理解できていないように思えます。


石川さんは当該記事において

セックスワークについて訳者もあまり知識がない中で、特定のひとつの団体の人からの与えられた情報で翻訳してしまうこと、私も同じように危機感を覚えました。

と書いておられるのですが、この部分の原文は

full decriminalization of sex work in all its forms must be a central tenet of the movement for trans rights

となっています(p147)。
「tenet」を「教義」と訳すことについて異論はあっても良いと思いますが、「信条」あるいは「主張」としたところで大きな違いはなく、章全体を通して著者がセックスワークの非犯罪化を強く支持していることに変わりはありません。
これを、まるで「訳者や訳者へのアドバイザーが著者の意図を歪めた」かのように描くのは酷いミスリードではないかと思います。
「著者のスタンス(セックスワーク非犯罪化への強い支持)が受け入れられない」ということなら、翻訳に対してではなく、著者自身に批判を向けるべきです。


あと、石川さんは当該記事において

Twitterに本の一部を引用するって、著作権的にオッケーでしょうか

と書いておられるのですが、著作権法32条第1項には

公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない

とあります。

・既に公表された著作物であること
・「公正な慣行」に合致していること
・報道、批評、研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること 

が条件として読み取れます。
「引用とは何か」という点では

・「出所の明示」をすること
・改変をしないこと

といったことが一般に示されています。

これを守っていればツイッターであろうが「引用」して問題はないはずです。
トランスジェンダー問題」は「公表された著作物」ですから、必要があるなら引用してよいのです。
なお、ブログやツイッターに書いた文章も一般に公開されている場合は「公表された著作物」と考えるべきでしょう。

また、「第4章全体を引用する」というのは「目的上正当な範囲」を超えた「(無断)転載」とみなされ、著作権法違反と判断される可能性もあるかと思います。

それ以上の専門的なことは弁護士さんにお尋ねください。

 

トランスジェンダーに寄り添う姿勢を見せながら「セックスワーク」についての話ばかりをする人たちに困惑しています。
トランスジェンダー問題」という本は、まさにそういう姿勢を批判しています。
セックスワークの非犯罪化を主張する本なんて価値を認めない」というなら、そう言ってください。
セックスワーク非犯罪化の是非」という議論にトランスジェンダーを巻き込まないでください。

以上です。


<補足>この文章は以下の連続ツイートを転載し、若干書式を整えたものである。

なぜ元ブログへの直接リンクではなくアーカイブへのリンクを示したかというと2つの理由がある。ひとつは「証拠保全」。元記事は作成者によって改変される可能性がある。もうひとつは「元記事のアクセス数を稼がせない」という目的である。

批判的にウェブサイトに言及する際は面倒でもなるべくアーカイブサイトを利用するのが私のスタンスである。