20年前の攻撃から学べ/デマに振り回されないために

<前提を確認>

20年ほど前、「学校の名簿を男女混合にすると、いずれ男女が同室で着替えをさせられるようになる」というデマがまことしやかに流された。

1999年に「男女共同参画社会基本法」が制定されたのを受け、当時は「男女別・男子が先」が圧倒的主流だった学校のクラス名簿を男女混合にする動きが加速した。当時は「ジェンダー平等」という言葉に馴染みがなかったが、男女平等を進めるための様々な取り組みの一環として、1980年代ごろから始まっていたという男女混合名簿の導入が進んだ。
現在では(調査により差があるが)小学校で概ね8割から9割、中学校では少し下がるが8割程度で混合名簿となり、さらに導入は進むとみられている。
一方、当時騒がれた「男女同室着替え」はあるのか?あるわけがない。デマで恐怖扇動した人たちでさえ見つけられないのだ。
「同室着替え」デマの経過については以下のサイトが詳しい。

w.atwiki.jp

当時、男女平等と共に使われた「ジェンダーフリー」という言葉も攻撃に晒され、「男女どちらともわからない人ばかりになる」「みんなカタツムリ」「フリーセックスの推進だ」として性教育も攻撃にあった。
性教育攻撃としてよく知られるのは七生養護学校事件だ。また厚労省管轄の公益財団法人が作った中学生向け性教育ハンドブックが廃刊にされたことも抑えておくべきだと思う。

これらの攻撃をまとめて「ジェンダーバックラッシュ」と呼ぶ。

ジェンダーバックラッシュは日本だけでなく世界的に平行して起きている。だから、世界の動きを知っておくことはとても重要だ。

そして、日本ジェンダーバックラッシュの中心にいたのが山谷えり子安倍晋三など極右議員、「正論」など極右メディア、統一協会統一教会、世界家庭連合)や日本会議といった宗教右派がバックアップしていたことも忘れてはならない。

<本題・現在>

さて20年後の現在。LGBT理解増進法をめぐって「導入されると男性が女性自認と偽って女子トイレに入ってくる」という言説がネットで流布されている。トイレだの風呂だのを一緒くたにして「女性スペースを守る」などという団体まで出てくる始末である。

まず、理解増進法は「理念法」であり、「差別だと認定した行為に何らかの罰が与えられる」ようなものではない。せいぜい「行政や教育機関LGBTの理解を進めましょう」として、公費で研修会ができるようになる程度のものだ。まして現在のトイレや風呂の運用に何らかの変化をもたらそうとするようなものではない。
ちょっと心を落ち着けて、以下のリンク先を読んでほしい。

endomameta.hatenablog.com

運用の変化を求めているのはむしろ極右の側である。米国の一部で「トイレは出生証明書の性別に従って使用しなくてはならない」という州法を作る動きがあり、裁判闘争が行われている。こういう動きをするのは常に共和党の極右過激派であり、かれらは妊娠中絶の違法化など女性一般の権利制限も平行して進めていることに注意を向ける必要があるだろう。
トランスジェンダーへの攻撃と女性への攻撃は、根元が同じ極右なのだ。

トイレを出生証明書どおりに使うとすると、髭面で筋骨隆々のトランス男性が女子トイレを使わなければならなくなる。それこそ大混乱必至だが、そういう事実から目を逸らすのも極右の得意技だ。

人種別に利用スペースが分けられていた時代のアメリカでは黒人排除の言い訳として「白人女性が安心できるように」というものがあった。そういった経緯への批判が「私たちは女性として保護されなくていいのか」というブラックフェミニズムの訴えに繋がっている。女性の権利を本気で守ろうと思うなら、ブラックフェミニズムから生み出された「インターセクショナリティ」という概念を身につけなければならない。

トイレを安全に安心して使用できる権利は重要である。それを守るためには「誰かを排除する」のではなく、排除のない方法を考えるべきなのだ。清潔で明るくする、人通りの多い場所を入口にする、緊急通報があればすぐ管理スタッフが駆け付けられるように、盗撮カメラの対策、などなど。女性用が少ないと言われている公衆トイレのバランスを適正化する必要もあるし、ジェンダーや身体特性を問わずに使える公衆トイレも増やすべきだろう。

 

トランスジェンダーが性別分離された空間を利用する時にどうすればいいのか?それは、そのスペースの特性、トランスジェンダー個人の状態、他の利用者との関係性などが様々に影響するので一意に決められるものではない。それを一言で表すなら「合理的調整」(合理的配慮)である。「配慮」の訳がよく知られるが、原語は「reasonable accomodation」なので「調整」のほうがいいとの指摘に同意し、私はこちらを使う。「reasonable adjustment」の語もあるようで、これはまさに「合理的調整」である。合理的調整は差別構造を解消する時の基本であり、バックラッシャーが扇動するような非合理的な譲歩を求めるようなものではない。もし「非合理的な譲歩を要求されている」と感じたら、慎重に「それを誰が言っているのか」「デマではないか」と確認する癖をつけておきたい。

日本では18年、お茶の水女子大がトランス女子学生の受入を表明した時からバックラッシュが酷くなった。大学側は「個別に配慮する」と言っているのに、それを無視して「トイレが/更衣室が」の言説が爆発的に広がった。すでにトランス男子は在籍しているにもかかわらず無視される。他の女子大の時にも同じことが繰り返された。LGBT法にまで「トイレ」の反発があるのはその延長である。バックラッシュの側が「女性の権利を守る側」であるかのような真逆の誤誘導は5年かけて広まり、むしろ状況が悪くなっている感すらある。左派の学者までもが一緒になって海外からデマを輸入してくるので、対応に苦慮している。

しかし、冷静になって思い出してほしい。私たちは20年前、誰のどんな言説と闘ってきたのかを。山谷えり子八木秀次、高橋史郎、旧統一教会日本会議・・・2年前、LGBT理解増進法を最終的に葬ったのは安倍晋三である。

人権を守るために、誰と連帯し、誰とたたかうべきなのか。冷静に、よく見極めてほしい。


LGBT理解増進法への個人的見解>

2年前もそうだったが、正直なところLGBT法には大して期待をしていない。そもそも「理念法」であって、「国全体の意思を示す」程度のものでしかなく、実効性がどのぐらいあるのか見通せない。同性婚、少なくとも国レベルのパートナーシップ制度すら実現せず、「差別の禁止」すら明確に打ち出せない日和見的な法案である。
それでも「理解が進むほうがいい」という意見はある。一面的にはそのとおりだが、「誰がどんな説明をするのか」によっては間違った「理解」、すなわち「偏見の助長」が進む可能性だって懸念される。なにしろ、自民党LGBT特命委員会でアドバイザーを務める繁内幸治じたいが、そのミーティングでトランスジェンダーへの恐怖を煽る発言をしたと報道されている。

https://mainichi.jp/articles/20210509/k00/00m/010/077000c)

LGBT」と一括りにされるが、その中でTはかなり少数であり、発言力を持っているのはG男性が多かったりする。トランスの意見がどの程度反映されているのか、不安だらけである。
性自認」「性同一性」をめぐる攻防も論点がずれている。そもそも両者ともに「Gender Identity」の訳語であり同一のものである。自民党側と野党や活動家側の対立はトランスジェンダーの病理化をめぐるものだろうが、議論や学問のレベルでは最新のICDやDSMを参照するよう要求していくとしても、理念法レベルの話でそこにこだわっても大して意味がない。「性同一性障害特例法」がそのままの名前なのに、理念法の定義だけが別のものになればむしろバックラッシュに口実を与えることになる。
私はこの法案に賛否どちらでもない。「なるようになるのを待つだけ」である。ただ、議論の過程で吹き出しているデマ・誤解・偏見には抵抗していきたい。