ジェンダー差別解消と階級闘争の違い
ジェンダー差別を「男性=支配階級、女性=被支配階級」とみなし、差別の克服を「階級闘争」と見なす考えがあるようだ。ジェンダークリティカルとも相性がいい。
実例を少し挙げておこう。
男性(という階級)によって女性(という階級)が差別・抑圧されてるんだったらさ、男性という階級に属する人が女性のアイデンティティを名乗ることが植民地主義的だってわかるものじゃないの?
— Erin@京浮は宇宙の真理教過激派 (@Erinadinfinitum) 2021年2月24日
いま身体女性がやってるのも階級闘争なの。
— 登川(とが) (@togatogaunion) 2021年6月9日
あんたら、男権主義者が女性スペースを侵略しようとしてるから、生存権を守るために闘っている。
あんたは悪人だと自覚しろ、タコ。 https://t.co/qofTgaUZly
確かに共通点はある。「支配ー被支配」的な関係、すなわち権力勾配が存在することだ。
マルクスやエンゲルスは社会の発展を「階級闘争の歴史」として捉えた。その中で特に重要なのは現代社会=資本主義の分析だ。「貴族と奴隷」のように明らかな「支配ー被支配」の身分制度が資本主義社会には存在しない(部分的に残っている場合もあるが)。表面的には、法的には対等な権利を持っているはずであるにもかかわらず、なぜ財産を築く人と貧しいまま雇われて働き続ける人が存在するのか?なぜその状況は固定的なのか?それを解き明かしたのが「資本論」であり、剰余価値理論であり、その他彼らの研究成果である。いまや現代社会を「資本主義」と呼ぶことも、「資本家」と「労働者」を区別することも、社会の中で当たり前に行われている。マルクスを全面的に拒否する人でさえその言葉を使っている。
さて、ジェンダー差別についてはどうだろうか。男性が女性に対して多くの場面で優位に置かれていることは確かだ。では、そのことによって「支配をしている」「搾取をしている」のは一体誰なのだろう。
これについては興味深い研究がある。