ジェンダー差別解消と階級闘争の違い

ジェンダー差別を「男性=支配階級、女性=被支配階級」とみなし、差別の克服を「階級闘争」と見なす考えがあるようだ。ジェンダークリティカルとも相性がいい。

だが、この発想は全面的に間違いである。

 実例を少し挙げておこう。

 

 

確かに共通点はある。「支配ー被支配」的な関係、すなわち権力勾配が存在することだ。

マルクスエンゲルスは社会の発展を「階級闘争の歴史」として捉えた。その中で特に重要なのは現代社会=資本主義の分析だ。「貴族と奴隷」のように明らかな「支配ー被支配」の身分制度が資本主義社会には存在しない(部分的に残っている場合もあるが)。表面的には、法的には対等な権利を持っているはずであるにもかかわらず、なぜ財産を築く人と貧しいまま雇われて働き続ける人が存在するのか?なぜその状況は固定的なのか?それを解き明かしたのが「資本論」であり、剰余価値理論であり、その他彼らの研究成果である。いまや現代社会を「資本主義」と呼ぶことも、「資本家」と「労働者」を区別することも、社会の中で当たり前に行われている。マルクスを全面的に拒否する人でさえその言葉を使っている。

さて、ジェンダー差別についてはどうだろうか。男性が女性に対して多くの場面で優位に置かれていることは確かだ。では、そのことによって「支配をしている」「搾取をしている」のは一体誰なのだろう。

これについては興味深い研究がある。

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 近代日本において「包茎」という概念を使って男性にたいする抑圧が続けられてきたわけだが、その抑圧を生み出したのは女性ではなく、やはり男性なのである。その抑圧を利用して商売をして大儲けをしてきたわけだ。この分析は、特に「女性から抑圧されている」と感じる男性に理解してほしい内容である。
少し横に逸れたが、女性と男性にそれぞれ役割(ジェンダーロール)を与え、家庭内では男性が女性を支配する仕組みによって社会全体を支配したのは誰なのか。それこそが本当の「支配階級」であり、現代社会においては資本家なのではないだろうか。
見落としてはいけない大事なポイントがある。支配階級にとってジェンダー分離は生殖の支配と強く関わっている。杉田水脈衆院議員が「LGBTは生産性がない」と発言し「差別だ」として強い批判を浴びたが、これは支配階級の本音でもあろう。生殖、すなわち労働者階級の再生産をコントロール下に置くのが支配階級の望みであり、だからこそ「与えたジェンダーからの逸脱」を許さないのだ。
「男性/女性」を「支配階級/被支配階級」と見做すと、その社会における典型的な「男性/女性」概念に適合しない人の存在を無視することになる。それはLGBT、中でもトランスジェンダークィアな人びとへの抑圧として働く。
ジェンダーを「階級」として、女性差別の解消を「階級闘争」として捉えることはLGBTへの抑圧に繋がる。差別の土台になる考えは「間違い」として否定すべきだ。
 
さて、もうひとつ指摘しておきたい。
共産主義を名乗ったソ連などの国家は「階級闘争」と称して貴族や資本家を処刑したり強制収容所に送ったりした。それは正しいことだっただろうか?支配者が交代しただけで暴力的な支配体制は変わらなかったのではないか?ならば、ソ連のやり方は間違っていたということだろう。
やはりフェミニズムを「(女性の)男性に対する闘い」として捉えると大きく間違うのではないか、と思う。
また、ジェンダーは「その人にとって帰属できるもの」でもある(帰属するジェンダーを特定しない人もいる)。
必要なのは「(あらゆるジェンダーの)平等の実現」である。