トランスジェンダー差別をめぐる共産党の声明について(末尾に追記あり)

ようやく発表された。
トランスジェンダーをめぐる議論について~個人の尊厳を守りジェンダー平等をめざす立場から

https://www.jcp.or.jp/jcp_with_you/2020/10/post-37.html

 

いちおう「どうにか合格点に届いた」と評しておく。そして、この声明を出してくれたことを歓迎する。

ただし、甚だ不充分である。第一に、共産党への公開質問となっている「ゆな」さんの問合せ( https://snartasa.hatenablog.com/entry/2020/10/19/133210 )および「フェミニズム&トランスライツ勉強会」の公開質問( https://femizemitrans.blogspot.com/2020/10/blog-post.html )には全く答えていない。

ある意味では、非常に官僚的な「優等生的」回答である、ともいえる。
それでも、悪質なトランス差別主義者、たとえば共産党ツイッター上でロビイングをしていたアカウントの反応を見ると、この声明は差別主義者を切り離すだけの効力を持ったものであると言えよう。いくつか例示しておく。

http://archive.vn/Nd5cZ

http://archive.vn/BBYJS

切り離されたかれらが「表面的な」共産党支持表明をやめて剥き出しの右翼的・差別主義的主張に走ることは「どんな人物が」トランス差別をしているのかを如実に示している。

そもそもの話をすれば、共産党のトランス差別に対する姿勢に疑問がぶつけられたのは笙野頼子がTERFサイトに寄稿した「共産党の見解」なる記事がある。

http://archive.today/wtIJq

 

さらにその前に、トランス差別アカウントに共産党の地方議員が賛意を示したという事件があった。
(なお、当該議員は批判を受けて鍵アカウントにしたため、その後の経過については不明)

https://archive.is/4eE0A


これらの問題について、この声明では一切触れられていない。これは無責任と言わざるをえないし、「何も言っていないに等しい」という批判もやむを得ない。
私は冒頭に示した「公開質問」に対して真摯に向き合ってほしいと思う。

あと、少し気になるのは「女性やトランスジェンダーの人権を〜」との記述だ。これは「女性」であり「トランスジェンダー」でもある「トランスジェンダー女性」のことをどう捉えているのか、差別主義者が「(シス)女性vsトランス(女性)」という、いわば「虚構の対立」を演出していることに対する警戒心の薄さが感じられる。差別を正当化するロジックに無警戒ということは、差別を容認してしまうことにつながる。そのあたりをもっと組織全体で学んでほしいと思う。
「建設的議論」にも危うさがある。そもそも、その「議論」はフラットなものなのか、「対話」が可能なものなのか。ひとつ記事を紹介しておきたい。
<「フラットな対話」と称するコミュニケーションに隠された「暴力」を考える>
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76070

トランスジェンダー女性は「トランスジェンダー差別」と「女性差別」を複合的に受けるにもかかわらず、「女性ではない」と見做され、(シスジェンダー)女性に対する「強者」であるかのように扱われる逆転状況がある。TERFのロジックは常にそれである。まずその事実を理解しない限り「差別への対応」はできない。

以上、いくつか批判を重ねたが、それでもこの声明は歓迎できるものである。それは、TERF=差別主義者たちを共産党から切り離す効果があるからだ。
ツイッターだけを見ても、共産党の看板を背負った複数の個人(議員、予定候補、あるいは職員など)が差別と闘っている。差別に抗う市民のひとりとして、非常に頼もしく感じている。
ただ、こういった現場レベルの努力に安住することなく、もっと「党として、組織として」差別に対抗する姿勢を示してほしい。

 

※11/3追記:ゆなさんからの問合せには返信があったようだ。この記事を書いた後に気付いたのだが、簡潔にして、本文中で指摘した疑問にも答えているように思う。
本文はそのままにしてリンクだけ追加しておく。

snartasa.hatenablog.com

 

※21/8/7追記

5月に発表された声明を受けて

k2g.hatenablog.com

「すぐに差別者と決めつけて糾弾するな」について

大抵の人は「差別はダメなことだ」と考えている。

だから「それは差別だ」と指摘されると、大変なショックを受け、混乱する。「差別はだめだ」としっかり考えている人ほどそうなりがちだ。私自身も指摘されて嫌になった経験はある。だから、私は私なりに慎重に判断しているつもりだ。

だれかがフォビックな発言をしたとき、すぐに糾弾が必要な場合もあれば、丁寧な対話が優先される場合もある。そして、それは「その発言者の社会的地位」や「自分と相手との関係性」によって大きく変動する。戦略的観点から判断することもある。実際、丁寧に話をすることで通じた経験はいくつもある(糾弾よりもエネルギーが必要だし、失敗したときの消耗は凄まじいが)。

私の判断基準を「甘い」と考える人も、逆に「厳しすぎる」と考える人もいるだろう。それは仕方がない。全てはグラデーションであり、大事なことは「差別を許さない」ことだ。

組織や団体の場合は個人より慎重さが求められるだろう。ただ、それでも一般論としてまず「差別を許さない」という姿勢を前面に出してほしい。そのうえで個別の課題には慎重に対応すればいい。

 

「すぐに差別者と決めつけて糾弾するのは良くない」という非難は、「差別している側」が弁明に使うことが多い。本当にその人は差別していないのか、糾弾は過剰なのか。個別事例によってずいぶん違うはずだが、そこに言及せず「安易な糾弾は良くない」みたいな方向に持って行くのは「過度の一般化」ではないだろうか。

 

「素朴な疑問」というのは、もちろんある。それは当然、持っていい。

ただ、その「素朴な疑問」を公開の場であるSNSツイッター、ブログなどに書くこと自体がマイノリティを追い詰める場合もある。

 

だから、疑問を持ったら、まず「調べてほしい」と思う。

(といっても、間違った情報、不安を強化してしまう情報も多い。情報過多時代の問題である)

 

 トランスジェンダーに関わる「疑問」については、この記事がかなり網羅的に扱っているので、ぜひ読んでほしい。

https://goatskin.hatenablog.com/entry/2020/06/19/180443

 

 トランスジェンダー、特にトランスジェンダー女性に対する差別言説は、日本においては18年7月にお茶の水女子大が「トランスジェンダー学生の受け入れ」を発表してからネット上に蔓延するようになった。

そもそも女子大には男性の教職員もいるし、現役学生も含めて納得しているわけだし、プライベートスペースに関しては「個別に対応する」と表明してるわけだからそれで終わりのはずなのだが、他の女子大でも受け入れが発表されるたびに「トイレはどうするのか」「着替えは、シャワーは」という「素朴な疑問」がネットに溢れる。

それは「不安を煽っている(つまり差別的な)人たちがいるから」である、ということに気付いてほしい。

この2年あまり、ずっと同じ話が繰り返されている。答える方は疲弊する。それ自体が差別だし、「シーライオニング」と呼ばれるハラスメント行為だ。

 まず、当事者やアライがどんな主張をしているか調べる。そして、どういう発言が「差別」と批判されているかを知る。
「質問」するのは、それ以降のことだと思う。

 

「差別者であると糾弾されること」よりも、「自分が差別をしてしまうこと」を警戒しよう。

「科学的社会主義」はトランスジェンダー差別を許さない

科学的社会主義」という言葉は、一般には馴染みが薄いかもしれない。
世間で「マルクス主義」と呼ばれるものとだいたい同じと考えてよいだろうが、特定個人の思想に留まるのではなく、さらに発展的な思想体系という意味で使われている名前だと、私は解釈している。

その「科学的社会主義」の世界観をトランスジェンダー差別の正当化に使っているものを見かけて、愕然とすると同時に強烈な怒りを覚えた。そもそも「社会主義」とは、人びとの幸せを願い、実現しようとする中で生まれた思想である。たとえ世界で失敗続きだとしても、原点はそこにある。
「誰かを排除する」目的にその理論を使うなど言語道断だし、当然ながら理論的にも間違いだらけである。それを批判する目的で、このテキストを残しておく。

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アカウント開設。

3.11。丸9年。とりあえずアカウントを作ってみた。

書きたいことは色々とあるのだが、全分野で書くかどうかはわからない。

とりあえず「ここで書こう」と考えている内容はある。あまり手は広げないほうがいいと思っている。

明るい話は書かなそうな気がする。「差別とファシズムへの怒り」と書けば格好がつきそうだが、威勢倒れかもしれない。

まあ、書かないことには始まらない。そのうち気分が変わるかもしれない。

 

簡単に自己紹介をしておこう。

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